タイの社会資本
バンコクとチェンマイ間の鉄道は1900年に完成し、同年にはペナンまでの国際急行さえも運行されるようになりました。
・・・この間、道路の建設はほとんど進められていません。
第二次大戦初めのころでさえ、中央タイでの物資輸送の80%は内航海運に依存していたほどであり、道路よりは運河、という意識が強かったのです。
道路拡張計画は立てられたことはありましたが、運河網が充実していたこと、財政に制約があったことなどから、実現しませんでした。
時折日本で話題になるクラ地峡開発も、実はこうした植民政策から提案されたものでした。
アーネスト・サトウは、1857年にインドで起こったセポイの反乱といわれる反英運動を香港海軍を使って抑え込もうとし、そのためにはクラ地峡の開削が必要であるとしました。
クラ地峡開削計画地域のインド洋とシャム湾側との距離は短く、この間を開削すれば、香港からインドまでの距離も著しく短縮すると考えたのです。