タイの社会資本 2
この地域にはヒマラヤ山脈の延長が堅い地盤をつくっており、人力では開削が難しいのです。
サトウの後にも、同様な計画は何度となくたてられましたが、いずれも岩盤の堅さが計画の実現を妨げました。
また、忘れられてしまっているようですが、戦後イギリスとの間に結んだ終戦協定は、イギリスの承認がなければクラ地峡を開削してはならない、と定めています。
・・・いずれにしてもタイは、西欧諸国の帝国主義的圧力をいかに逃れるか、を常に考えねばならなかったのです。
・・・それが社会資本の拡充を制約、あるいは促進したのです。
戦後、社会資本のレベルを大きく引き上げたのは経済協力でした。
先進国や国際機関の借款や技術援助がタイの社会資本を充実させたのです。
背景には社会資本に対する考え方の変化がありました。
・・・おそらく最大の変化は世界銀行による報告書(1960年)で与えられたものです。